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母の日が5月の第2日曜であるわけ

 昨日は母の日でしたね。あなたはお母さんに感謝しましたか?

 私の母は今年米寿を迎えますが元気です。母の好きな手巻き寿司を用意して、日本酒で乾杯しました。

 ところで米南部ルイジアナ州ニューオーリンズでは12日、母の日のパレード中に銃撃があり、地元警察によると少なくとも12人が負傷したというニュースが飛び込んで来ました。

 アメリカのメディアによると容疑者は複数とみられ、現場から逃走。警察が行方を追っているとの情報です。地元メディアの情報によると事件当時、数百人が現場にいたそうです。10歳の女児も軽傷を負っていると言います。 12人の一部は銃創ではなく、避難の際の混乱で負傷したとの情報もあるようですが、怖いですね。

 やはり誰でもが簡単に銃を入手できるアメリカ社会は怖いですね。

 母の日といえば、「オレオレ詐欺」に変わる詐欺の呼称を警視庁は募集していたようですが、この呼称が「お母さん助けて詐欺」に決まったとか。

 ちょっと長すぎると思うのは私だけでしょうか?

 実は、5月第2日曜日がアメリカでも母の日だというのは昨日のニュースで初めて知りました。

 どういう理由で5月の第2日曜日が母の日になったのかを調べてみました。

 ウィキペディアによると、アメリカで南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウさんが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に 拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」を発したのだそうです。

 ハウさんの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービスさんの活動にヒントを得たものなのだそうです。

 アン・ジャービスさんの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナさんが亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念に会を設けて、白いカーネー ションをお供えしたのです。

 これが日本やアメリカでの母の日の起源とされています。

 アンナさんの母への想いに感動した人々は、母に感謝する日の大切さを認識し、翌1908 年の5月10日には同じ教会に470人の生徒と母親達が集まり最初の「母の日」を祝ったそうです。

 アンナさんはその日参加者全員に、母親が好きであった赤いカーネーションを手 渡したとのこと。このことから、赤いカーネーションが母の日のシンボルとなり、また亡くなったお母さんには白いカーネーションが供えられることとなったようです。

 アンナ・ジャービスさんは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案。 1914年に「母の日」はアメリカの祝日になり、5月の第2日曜日と定められたとのことです。

 なお、スペインや北欧諸国では、5月の第1日曜日が母の日とされているそうです。

 ちなみに、父の日が6月の第3日曜日に定められたのも、アメリカの南北戦争の頃がきっかけのようです。

アメリカ ワシントン州のソノラ・スマート・ドッドさんが幼い頃、父ウィリアムさんが南北戦争に召集され、彼女を含む子供6人は母親が育てることになったのですが、母親は過労が元でウィリアムの復員後まもなく亡くなり以来男手1つで育ててくれた父のウィリアムさんを讃えて、教会で父の誕生日だった6月に礼拝したのがきっかけとのことです(1909年のこと)。

 最初の父の日の祝典は、その翌年の1910年で、それまで母の日はあったものの父の日がなかったことから「母の日のように父に感謝する日を」とソノラ・スマート・ドッドさんが牧師協会へ嘆願して始まったとのことです。

 父の日は母の日に比べると世界はバラバラのようです。

 母の日の花がカーネーションであるのに対して父の日の花はバラだとされています。これはソノラ・スマート・ドッドさんが、父の日に父親の墓前に供えたのが白いバラだったことに由来するそうです。

 いろいろ調べてみると面白いですね。

 親孝行はできるうちにしておきたいですね。私の父はすでに亡くなっているので、母にはもっともっと長生きしてもらいたいと思います。