何か面白いことないかな?

何気ないことを書いてく日記です

人を信じる時の言葉11

121、疑うことなんて 

   誰にでも出来ること 

   どうせなら 

   人を信じる強さと優しさを持った方が良いと思うんだ

122、その人との素晴らしい思い出を思い出せばいい。そしたら「やっぱこの人と一緒にいて良かった」って思える。それが信じる気持ちに繋がるんじゃないか

 

123、信じられないと思った事もありました。 

   歳をとって思慮深くなったのかと思っていました。 

   でも、信じられないなんて、決して本気で思っていたのではないと、やっと気づきました。 

   予防線を張っていただけ。 

   本当は、ボロボロになる事が容易に想像できるくらいに、大切な人が唯一無二なだけ。 

   出会って 

   弱い自分に気づいて 

   そして強くなりました。 

   信じるのはこわいとも思うけど、他に道がないのです

124、人を信じるな

   自分を信じろ

   そして自分の信じる

   自分が見つけた友達は

   何があっても信じろ

125、相手は自分の心の鏡。 

   仲良くなりたい、心を開いてもらいたいと思うなら 自分から一歩踏み出してみよう

126、信じることをしなければ 

   信じてもらうことも 

   難しいこと。 

 

   信じることがなければ 

   そこから先に進むことは 

   ないだろう。 

 

   誰も傷つきたくない。 

   だけど傷つくリスクを 

   犯してまでも 

   得れるものは尊い。

127、信じるといったら信じるでいいんです。 

   相手が裏切るからとかそんなのは関係ありません。 

   もともと信じることと裏切ることは関係していません。 

   被害妄想をした個人が勝手にそう解釈するだけです。 

   例えば「信じるよ」と相手にいった場合 

   それはあなたから相手への一方通行な気持ちです。 

   その後相手がどんな選択をしようとそれは信じたあなたの責任になります。 

 

   一方で「裏切るなよ」といった場合 

   それに『はい』と相手が答えればお互いに了承の約束になるので 

   その後の結果は約束を守るか破るかになります。 

 

   だから仮にあなたがその人を信じると思った時点でそこに裏切りの観念は一切混入してはいけません。 

   少しでも疑ってる場合それは信じてるとはならないのです。 

   結果裏切られたとしてそれに対してあなたは相手に何も言えません。 

   信じているあなたがそこに存在していた、それでいいんです。 

   つまり信じるということはそれだけ重いことだということ